インプラント周囲炎で困っている人はどのくらいいるの?
インプラントが広く行われるようになって年月が経ちましたが、ではいったいどのぐらいの方が日本ではインプラント周囲炎に苦しんでいるのでしょう?
私がインプラント治療を学ぶ為にそのメッカであるスウェーデンイエテボリ大学に留学したのは1988年の事です。
当時、同大学のブローネマルク教授らによってインプラントと骨との結合(オッセオインテグレーション)に関しては多くの研究が発表されていましが、インプラント周囲軟組織に関しては見落とされていました。
私の留学先の歯周病科では、リンデ教授(当時のイエテボリ大学歯周病学科主任教授)のもと、歯牙周囲組織の手法を用いて歯周病の病態と同じようにインプラント周囲軟組織の病態研究を行っていました。
ベーグルンド先生(現イエテボリ大学歯周病学科教授)がビーグル犬を使った一連の実験によって、インプラント周囲もプラーク(細菌の塊)により歯周病と同じような病気が発現し進行していく事を発表しました。(*1)
しかし、実験的には動物にインプラント周囲病変は起こっても人間には起こらないと世界中から猛反撃を受けました。
そんな折、リンデ教授に呼ばれ、ある手術に立ち会いました。その患者はインプラント周囲に感染を起こし、骨髄にまで及ぶ非常に重度の感染症を起こしていたのです。
この症例から人においてもインプラント周囲組織に感染が生じると確信しました。
感染を除去するため手術を行いましたが、残念ながら一年後同部に病気が再発しました。
現在のところインプラント周囲炎の感染をとる事は大変難しく、今なお確立した治療方法はありません。
インプラントが広く行われるようになって年月が経ちましたが、ではいったいどのぐらいの方が日本ではインプラント周囲炎に苦しんでいるのでしょう?
病気がどのぐらい蔓延しているのか調べる事を疫学調査と言います。インプラント周囲炎における疫学調査はどこまで進んでいるのでしょうか。
2008年、European Federation of Periodontollogy(ヨーロッパ歯周病学会)のコンセンサスレポートによると、インプラント周囲炎についての罹患率を報告した研究はわずか2篇しかあげられませんでした。
その結果はインプラント割合(インプラント1本1本見ていく)で12~43%、患者割合(患者様1人1人で見ていく)で28~54%がインプラント周囲炎に罹患していると報告しています。(*2)
なぜインプラント周囲炎の罹患率を調べた調査は少ないのでしょうか。
そんな不利な条件の中、インプラント周囲炎の罹患率を調べた報告はわずか2篇でどちらもインプラント先進国、スウェーデンの論文でした。
スウェーデンではインプラントが保険適応でインプラントの種類が信頼のおける数社のメーカーに限定されている事や、スペシャリスト(専門医)による治療がシステム化され、インプラントを入れた後も同じ病院で継続してメインテナンスを行っているため、長期に渡り予後を見る事が可能だったことなどいくつか考えられます。
その1つ、イエテボリ大学の後輩フランソン先生の2005年の報告を見てみましょう。(*3)
1999年、イエテボリのブローネマルククリニックにこられた患者のうち、治療後5年以上の経過を記録しているものだけを対象にインプラント周囲の骨の喪失に関する調査がなされました。
この研究はインプラントの専門病院、それもたった1つの病院で調査された事に意味があります。
つまり研究対象とされた方達は高い水準で同等の治療を受けたと考えられます。(ブローネマルククリニックは世界で最初に始まったインプラントのスペシャリストクリニック。専門医による治療がなされている。)
その結果は患者割合で24%、インプラント割合で12.8%にインプラント周囲に骨の喪失が認められました。
さらに、この3年後、同じくフランソン先生による2008年の研究で、骨が失われた多くの部位では出血が認められた(炎症が起こっている)ためインプラント周囲炎はおよそ4人に1人は発症していたと考えられるという衝撃的な内容でした。(*4)
その後 先生たちによると、同じように のKristian市のPublic Dental Health Serviceでインプラント処置を受けた患者において、患者割合で77.4%(-21.8%)、インプラント割合で24.8%にインプラント周囲炎の疑いがありました。
彼女たちの考察では、これ程高い値が出た理由は、フランソン先生の時と異なり、治療はスペシャリストにより行われたものの、その後のメインテナンスが一般開業医に送られてしまったからではないかと述べています。
つまり、治療後紹介された病院によっては、きちんとしたメインテンンスを受ける事が出来なかった患者もいたと考えています。(*5)
スウェーデンのようなインプラント先進国ですらこれだけ多くのインプラント周囲炎が発症していると報告されています。
これらの疫学調査は限られた地域で行われた調査の為、目安にはなりますがそのまま他の地域に置き換える事は出来ません。
では日本ではいったいどのぐらいの広がりをみせているのでしょうか。
日本ではインプラント周囲炎における疫学調査は現在私の知る限り報告がありません(2012年9月現在)。
その理由として先に述べたように日本では非常に多くの種類のインプラントメーカーが使用されているため比較が難しい事や、国による専門医制度がなく治療の質も病院により異なり、また患者が1つの病院に集まりにくい為、インプラント治療の長期予後を数多く把握している診療所が少ない事が考えられます。
疫学調査がなされなくては具体的な数字で比較する事は出来ません。
しかし残念な事ですが、インプラント周囲炎の発症率はスウェーデンよりも高くなる事は予測できます。
その理由の1つとして、国によるインプラント治療における専門医制度が日本にはないからです。
日本では多くのインプラント治療が一般開業医によって行われます。スウェーデンのように専門医が行っていてもこれだけの高い値が出たのです。それよりも発症率が低い事は考えにくいでしょう。
先日スウェーデンのスペシャリストクリニックよりSerino先生(私のイエテボリ留学時代の同級生。スウェーデンのスペシャリストクリニックBoras hospital 歯周病科主任)を招待し、「インプラント周囲病変への対応」と題して、講演会を開きました。
その講演の後のインタビューで日本におけるインプラント周囲炎の罹患率について意見をお聞きしました。
彼によると日本におけるインプラント周囲炎の患者は潜在的にはスウェーデンよりも多くいるだろう、というものでした。
今まではインプラント周囲炎の検査方法や診断方法が確定していませんでした。その為インプラント周囲炎の患者は一見少ないように思われていました。
江戸時代に癌でなくなられた方が少なかったのは当時癌の検査、診断方法がなかった為です。
それが確立した現代では、癌は日本人の死因第3位になるほど多くの患者が存在している事がわかっています。同じような事がインプラント周囲炎にも起こっていると考えられます。
インプラント周囲病変の検査ではインプラント周囲へのプローブによる検査と、X線診査は必須です。
最近になってようやく日本でもインプラント周囲のプローブ検査が行われるようになってきました。
特にインプラント周囲炎は自覚症状が少ないので我々歯科医師がしっかりと検査をし、その存在を把握する必要があります。
今後インプラント周囲炎の診査方法が確立され一般医によって診査診断がされるとインプラント周囲炎の患者が増えてくる事でしょう。
ひとたびインプラント周囲炎になるとその治療方法は確立していません。ましてや現在その治療は保険で現在カバーされていません。治療を受けたいが何処で受けたらいいのか、これからもいわゆる「インプラント難民」が増え続けることでしょう。(*6)
Serino先生を招待して行われた講演会は大盛況でした。日本の歯科医もインプラント周囲炎について勉強し始めたところです。
ご自身が「インプラント難民」ならないためにも、これからインプラント治療を受ける方、もしくはすでにインプラント治療を受けている方は、新しい病気に対してもしっかりとアンテナを張り、診査診断をしてくれる歯科医院を受診するようにしましょう。
インプラント周囲炎は有効な治療方法がない恐い病気です。病気にならないようにしっかりとメインテナンスを受ける事が大切です。
インプラントが広く行われるようになって年月が経ちましたが、ではいったいどのぐらいの方が日本ではインプラント周囲炎に苦しんでいるのでしょう?
歯周病が歯面にそって進行するように、インプラント周囲の炎症も放っておくとインプラントに沿って感染が進行し、インプラントを支えている骨が喪失します。この状態がインプラント周囲炎です。
虫歯や歯周病で歯が抜かれ、かわりにインプラントによって咀嚼が回復され、見た目がきれいになったとしても、口の中は虫歯や歯周病になりやすい環境である事にかわりはありません。残っている歯を再び虫歯や歯周病で失わないようにメインテナンスをしていく事は必須です。